恐ろし!怪し!もののけ古典講座

妖怪や幽霊、神仏等、怪しいモノが登場する古典作品を紹介します。
高校生のテスト対策や大学受験対策でも役立つように、
古典文法や古文常識を解説します。が、メインはオカルト関連の薀蓄です。
「古典は面白い!」と言う若者が増えると、もののけ達も喜びます。
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尼、地蔵見奉ること(『宇治拾遺物語』より)(3)~「の」の識別・敬語の復習~

 今は昔、丹後国に老尼ありけり。/地蔵菩薩は暁ごとにありき給ふといふことを/(老尼は)ほのかに聞きて、暁ごとに地蔵見奉らんとて、ひと世界惑ひありくに、/博打の打ちほうけてゐたるが見て、「尼君は寒きに何わざし給ふぞ」と言へば、/「地蔵菩薩の暁にありき給ふなるに、/(私(=老尼)は)会ひ参らせんとて、かく歩くなり」と(老尼が)言へば、/「地蔵のありかせ給ふ道は/我(=博打)こそ知りたれ。/(あなた(=老尼)は)いざ給へ。/(私(=博打)が)会はせ参らせん」と(博打が)言へば、/「あはれ、うれしき事かな。地蔵のありかせ給はん所へ、/(あなた(=博打)は)我をゐておはせよ」と(老尼が)言へば/「(あなた(=老尼)は)我に物をえさせ給へ。/(私(=博打)が)やがてゐて奉らん」と(博打が)言ひければ、/「(私(=老尼)は)この着たる衣(を)、奉らん」と(老尼が)言へば、/(博打が)「さは、いざ給へ」とて隣なる所へゐて行く。


<前回までのあらすじ>
「お地蔵様が夜明け前に歩き回る」という都市伝説を信じる年老いた尼さんは、そのお地蔵様に会いたい一心でさまよい歩くのだった。彼女の運命や如何に?彼女はお地蔵様に無事会えるのか?



みみずく:<あらすじ>まで書いてあるけど、前回はたった数行しか訳さなかったんだよね(笑)今回から、もう少しサクサク読んでいこうね!

リョウキキョウキ:ハーイ!

「の」の違いは分かるかな?



博打の打ちほうけてゐたるが見て、「尼君は寒きに何わざし給ふぞ」と言へば、/「地蔵菩薩の暁にありき給ふなるに、/(私(=老尼)は)会ひ参らせんとて、かく歩くなり」と(老尼が)言へば、
【訳】博打打ちで博打を打つのに夢中になっている者が見て、「尼君はこの寒いのに何をしていらっしゃるのか」と言うので、「地蔵菩薩が夜明け前に歩きなさるそうなので、(私は)お会い申し上げようと思って、このように歩き回っているのだ」と(老尼が)言うので、



みみずく:この部分で2人に理解してもらいたのは、「の」の識別だね。「博打の打ちほうけてゐたるが見て」の「の」と「地蔵菩薩の暁にありき給ふなるに」の「の」はどちらも助詞なんだけど、意味を区別してほしいんだ。

ところでリョウキに聞くけど、「俺の女」の「の」と「俺の愛する女」の「の」って、ちょっと意味が違くない?

リョウキ:確かに違いますね。「俺の女」は「この女は俺のものだ!」って感じだけど、「俺の愛する女」は「俺が愛している女だけど、まだ俺のものになってない」って感じですね。

キョウキ:兄ちゃんの場合、「俺の女」も「俺の愛する女」も二次元の世界にいるんだよね?キモ~イ!!

リョウキ:黙れ!おまえみたいな顔も性格も最悪な女を見ていると……グフッ……(リョウキがキョウキに何をされたかはご想像にお任せします(笑))

みみずく:兄妹喧嘩はいいんだけど、部屋の中を血で汚さないでね(笑)

それはさておき、「俺の女」と「俺の好きな女」とでは、「の」の意味が違ってくるんだ。「俺の女」は、「俺の」が「女」という名詞を修飾しているよね?このように、名詞(体言)を修飾するときに使う「の」を連体修飾格って言うんだ。

一方、「俺の愛する女」は、「俺愛する女」と言い換えられるでしょ?このように、「が」に言い換えられる「の」を主格と言う。「主格」の「主」は「主語」のことだよ。「俺の愛する」を「俺が愛する」って言い換えると、「俺が」が主語になるでしょ?

で、上の古文では、「地蔵菩薩の暁にありき給ふなるに」の「の」が連体修飾格か主格のどちらかなんだけど、どっちだい?

リョウキ:「地蔵菩薩の」が「暁」を修飾していると考えると、「地蔵菩薩の夜明け前」となって、意味が分からない。「地蔵菩薩が歩きなさる(ありき給ふ)」と考えると意味が通じる。ということは、「地蔵菩薩の暁にありき給ふなるに」の「の」は主格ですか?

みみずく:正解!

で、同じように「博打の打ちほうけてゐたるが見て」を「博打打ちほうけてゐたるが見て」とやっちゃうと意味が分からなくなる。ところで、君たちは「博打(ばくち)」って知ってるよね?

キョウキ:知ってますよ!手に握ったまま火をつけると指が吹っ飛んで面白いアレですよね?

みみずく:それは「ばくち」じゃなくて「ばくちく(爆竹)」!というか、そんな危険行為を、良い子のみんなはマネしないでね!!

「博打」というのは賭け事・ギャンブルのこと。お金をかけて失敗するリスクもあるから、危険なことの代名詞としても使われる。たとえば、「数学はバクチだ」とか、言わない?

リョウキ:あれって「数学はバクチクだ」だと思ってました。俺は数学でよく赤点を取って、いろんなものが吹っ飛んでしまうので、「爆竹」の方が合ってるような……

みみずく:はいはい、お大事に。「博打」の意味も分かったところで続きに戻るよ。

「打ちほうけてゐたる」の「ほうけ」は「ほうく(惚く)」が言い切りの形(終止形)で、「一つのことに夢中になる」の意味。今でも「遊びほうける」って言うだろ?その「ほうける」と同じ意味だね。

「ゐたる」の「ゐ」は「ゐる」の連用形、「たる」は存続の助動詞「たり」の連体形だ。そして、この連体形の部分は「~する人」や「~すること」と訳すんだ。連体形の活用語の後ろに来るべき名詞(「人」「こと」など)が省略されている表現を準体法と言うんだよ。

だから、「打ちほうけてゐたるが見て」は「博打を打つのに夢中になっている者が見て」と訳せる。つまり、「博打」を「博打打ち」と訳すと、「博打打ち=博打を打つのに夢中になっている者」という関係が成り立つ。このようにイコール(=)の関係になる「の」を同格と言って、「で」と訳すんだ。

「博打の打ちほうけてゐたるが見て」は、「博打打ち博打を打つのに夢中になっている者が見て」と訳そうね。

今回扱った「の」の識別をもう一度まとめるよ。

①「俺女」→「俺の」が「女」(名詞=体言)を修飾→連体修飾格の「の」
②「俺愛する女」→「俺愛する女」のように、「の」を「が」に言い換えられる→主格の「の」
③「博打打ちほうけてゐたるが見て」→「博打打ち博打を打つのに夢中になっている者が見て」のように、「の」を「で」と訳す→同格の「の」


他にも「の」の用法があるんだけど、今回はこのくらいにしておこう。

敬語を復習しよう!!



みみずく前回話した敬語の復習をしよう。「地蔵菩薩の暁にありき給ふなるに、会ひ参らせんとて、かく歩くなり」の「ありき給ふなる」「会ひ参らせん」「歩くなり」の主語をそれぞれ答えて。

リョウキ:さっき主格の「の」を確認したし、「給ふ」という尊敬の補助動詞が使われているから、「ありき給ふなる」の主語は偉い人、つまり地蔵菩薩です。

キョウキ:「会ひ参らせん」には「参らす」という謙譲の補助動詞があるから、主語が偉くない人の老尼に変わってますね。「歩くなり」にも敬語が使われていないので、これに対する主語も老尼です。

みみずく:敬語がだいぶ分かってきたね。素晴らしい!

長くなってきたから、ここでいったん解説を区切ろうね。「また数行しか訳してないじゃないか!」というツッコミは無しで(笑)次回に続く!(続く)

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[ 2015年03月24日 10:00 ] カテゴリ:宇治拾遺物語 | TB(0) | CM(0)

尼、地蔵見奉ること(『宇治拾遺物語』より)(2)~古文常識の大切さ・敬語の用法~

ご無沙汰しております。みみずくです。こちらのブログを長らくほったらかしていて、申し訳ありませんでした。

今年から高校生に古典を教えなければならなくなったので、授業で扱う古文を「恐ろし!怪し!もののけ古典講座」で解説していこうと考えています。ただ、普通に解説しても詰まらないので、今回から会話形式で進めていきます。僕(=みみずく)と僕の愛弟子2人との和気あいあいとした授業風景をお楽しみください!

リョウキとキョウキの自己紹介



みみずく:というわけで、今回から、僕の愛弟子2人にご登場願います。彼らはちょっと頭のオカシイ兄妹です。2人とも自己紹介して。

リョウキ:あっ、はい、ただ今ご紹介にあずかりました頭のオカシイ兄弟の……って、俺たち、頭オカシクねーし!!

みみずく:何だっていいから、さっさと自己紹介して!

リョウキ:何だってよくねえよ、ふざけやがって……

俺は、東京都立七不思議高校2年のリョウキです。趣味はグロ動画鑑賞です。夜中にネットサーフィンして、海外のあんな動画やこんな動画を見ているときが一番幸せです。そして、こっちが妹の……

キョウキ:兄ちゃん、もういい、黙って!キモイ!

リョウキ:実の兄に向って『キモイ』とは何だ?『キモイ』なんて変な言葉を使うな!『気持ち悪い』と言え!『気持ち悪いくらいイケメンで魅力的なお兄様』と言え!!

キョウキ:雑音は無視してっと……

私は、東京都立七不思議高校1年のキョウキです。趣味は人間観察です。頭がアレな人の言動や男女間・親子間の修羅場は、私の生きがいです。特に、身近な存在である兄ちゃんは、格好の観察対象です。

リョウキ:キョウキ、俺を観察してたのか?

キョウキ:兄ちゃんの部屋には盗聴器が既に5つ……

みみずく:はいはい、頭のオカシイお二人さん、そのくらいにしといてね。こんな茶番を続けていると、いつまで経っても古文の読解に入れないからね(笑)

というわけで、この講座では、リョウキやキョウキのように、頭の中に脳ミソではなく犬のフンが詰まっているような子にも分かるように、丁寧な解説を心がけたいと思います。では、早速、『宇治拾遺物語』の「尼、地蔵見奉ること」を読んでいきましょう!

古文常識を覚えよう!!



みみずく:じゃあ、1段落から解説していくね。まずは、前回紹介した「オニババアの法則」を使って主語をキチッと見つけようね!

 今は昔、丹後国に老尼ありけり。/地蔵菩薩は暁ごとにありき給ふといふことを/(老尼は)ほのかに聞きて、暁ごとに地蔵見奉らんとて、ひと世界惑ひありくに、/博打の打ちほうけてゐたるが見て、「尼君は寒きに何わざし給ふぞ」と言へば、/「地蔵菩薩の暁にありき給ふなるに、/(私(=老尼)は)会ひ参らせんとて、かく歩くなり」と(老尼が)言へば、/「地蔵のありかせ給ふ道は/我(=博打)こそ知りたれ。/(あなた(=老尼)は)いざ給へ。/(私(=博打)が)会はせ参らせん」と(博打が)言へば、/「あはれ、うれしき事かな。地蔵のありかせ給はん所へ、/(あなた(=博打)は)我をゐておはせよ」と(老尼が)言へば/「(あなた(=老尼)は)我に物をえさせ給へ。/(私(=博打)が)やがてゐて奉らん」と(博打が)言ひければ、/「(私(=老尼)は)この着たる衣(を)、奉らん」と(老尼が)言へば、/(博打が)「さは、いざ給へ」とて隣なる所へゐて行く。


主語の把握が終わったところで、内容を丁寧に見ていくよ。

今は昔、丹後国に老尼ありけり。
【訳】今ではもう昔のこと、丹後の国に年老いた尼がいた。


「今は昔」というのは、説話や物語の冒頭でよく目にする慣用表現だね。「今ではもう昔のこと(となりましたが)」くらいに訳しておこう。「むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。」の「むかしむかし」だと思っておけばいい。

ところで、「丹後国」は何て読むの?

リョウキ:えっと、「たんごのくに」かな?

みみずく:おっ、よく読めたね!

「丹後国」は、現在の京都府北部に当たります。「国」と書いてあるからといって、外国のことだと思わないでね(笑)

キョウキ:「たんごのくに」はアルゼンチンの近くにあって、国民が皆タンゴを踊れるとか?(笑)

みみずく:そういうことを真顔で言う生徒がたまにいるので、勘弁してほしい……

気を取り直して、「老尼」は「年老いた尼」と訳したけど、「あま」って何?

リョウキ:海に潜って貝を取ってくる女の人のこと?

みみずく:ハア……それは「あま」は「あま」でも、「尼」じゃなくて「海女」の方……。今回出てくる「尼」は、出家した女性のことを言います。ところで、「出家」って知ってるかい?

キョウキ:家出のこと?

みみずく:確かに「家を出る」と書いて「出家」だけど、漢字を逆にして「家出」と言ったら、君がいつもしてることになっちゃうよ。キョウキは、何かあると直ぐに家を飛び出して、新宿や渋谷で何日も夜を過ごすんだろ?

リョウキ:そうそう、こいつは家を飛び出せば何とかなると思ってるけど、いつもお巡りさんに補導されて……

キョウキ:うるさい!引きこもりの兄ちゃんよりはマシ!!

みみずく:はいはい、兄妹喧嘩はそのくらいにして。

出家というのは仏教用語で、修行に打ち込むために、普通の生活を捨てて寺などに生活の場を移すことを言う。要は、僧侶になることだね。女性が出家すると「尼」と呼ばれるんだよ。

リョウキ:じゃあ、女性が尼になるとき、男の坊さんみたいに髪を剃ったんですか?剃髪(ていはつ)プレイっすか?

みみずく:リョウキが何を妄想してるのかは知らんけど、「プレイ」は余計だ(笑)

尼さんが男性の僧侶と同じく剃髪した時代もあったけど、平安貴族の女性たちが出家する場合は尼削ぎ(あまそぎ)にしたそうだ。尼削ぎは髪を肩のあたりで切るだけで、丸坊主にはしない。これは、平安貴族の女性が長い髪を大切にしていたからなんだね。

ダラダラっと話してしまったけど、地名とか仏教用語とか、そういうのを古文常識として沢山ストックしていこうね。

たとえば、「尼」を「海女」と混同したまま文章を読んでいたら、仏教の話がいつの間にか漁師の話に変換されてしまった……なんてことは、本当にあったりする。君たち高校生の妄想力はたくましいからね(笑)

古文常識は大切だよ!ってことです。

ちなみに、文末の「けり」を文法的に説明すると?

キョウキ過去の助動詞「けり」の終止形です。

みみずく:はい、よくできました!

敬語ってどうして大切なの?



地蔵菩薩は暁ごとにありき給ふといふことを/(老尼は)ほのかに聞きて、暁ごとに地蔵見奉らんとて、ひと世界惑ひありくに、
【訳】地蔵菩薩は夜明け前に歩きなさるということを(老尼は)ちらっと聞いて、夜明け前に地蔵を見申し上げようと思って、辺り一帯をさまよい歩いていると、



みみずく:この部分では、敬語の重要性についてお話ししておこう。古文に出てくる敬語の種類は?

リョウキ尊敬語と謙譲語と丁寧語!

みみずく:じゃあ、その3つの違いは?

リョウキ:うーん……

みみずく:高校生の多くは、この敬語の用法で混乱するんだよね。僕も高校時代はさっぱり分からなかったし。でも、一度敬語をしっかり理解すると、古文の読解がグッと楽になるんだ。そんな敬語の詳しい説明は別の機会にすることにして、今回は軽~く敬語について眺めてみようね。

じゃあ、上の文で、敬語はどれ?

キョウキ:「ありき給ふ」の「給ふ」と、「見奉らん」の「奉(たてまつ)る」です。

みみずく:そうだね。

「給ふ」も「奉る」も補助動詞だね。補助動詞とは、他の動詞の後ろにくっついて、意味を付け加える働きをするんだ。「給ふ」は、「動詞の連用形+給ふ」で、多くの場合、「~なさる」という尊敬表現になる(謙譲表現になることもあるが、それは別の機会に!)「奉る」は、「動詞の連用形+奉る」で「~申し上げる」という謙譲表現になる。この2つはよく出てくる重要な補助動詞なのでしっかり覚えようね!

さて、ここで敬語の重要性が分かる話をしていこう。と、その前に「地蔵菩薩(じぞうぼさつ)」って分かるかい?

リョウキ:よく道端で見かけるお地蔵様のこと?

みみずく:そう、『笠地蔵』なんかにも登場するお地蔵様のこと。このお地蔵様って、いったい何なのかな?

キョウキ:兄ちゃんのような変態が眺めてハアハアするためのものじゃないんですか?

リョウキ:ちょっ……お、おまえ、ふざけんなよ!!

みみずく:もちろん、リョウキのような変態が鑑賞して楽しむものじゃないよ(笑)

道端に立っているお地蔵様も含めて、「地蔵」とは、仏教で信仰される菩薩の一種なんだ。だから、「地蔵菩薩」って書いてあるんだね。「菩薩」とは、人々を教え導こうとして修行を続ける者のことで、親しみやすさもあって民間信仰の対象になっている。特に、地蔵菩薩は、地獄で苦しむ亡者たちを救う仏様なので、人気があるんだ。

リョウキもキョウキもどうせ死後は地獄行きなんだから、今のうちからお地蔵様を大切にした方がいいよ。お供え物をくすねるとか、そういうことばかりしてないで(笑)

キョウキ:お供え物をくすねません!!

みみずく:それはそうと、地蔵菩薩は「菩薩」というくらいだから、人間と比べたら偉い存在だ。その偉い菩薩が主語になっているから、述語の「ありき給ふ」に「給ふ」という尊敬語が使われている。主語が偉い人の場合、述語に尊敬語が使われるということだね。

「ありく」は「歩く」と漢字表記することからも分かる通り、「あちこち歩き回る」という重要古語だ。これを踏まえて、上のような訳になるんだよ。昔はお地蔵様が歩き回ってたんだね、イッツ・ミラクル!!(笑)

じゃあ、次行くよ。「ほのかに聞きて」の主語は誰?

リョウキ:老尼ですか?

みみずく:どうしてそう思うの?

リョウキ:「オニババアの法則」から「を」の後ろは主語が変わるし、何となく文脈的に……

みみずく:確かに、このくらいなら文脈から主語を把握できるよね。でも、難解な文章になったら、「文脈から」という発想は使えなくなる。そんなときこそ、敬語の変化をしっかり見てほしいんだ。

さっき見た「ありき給ふ」には尊敬語が使われているけど、「ほのかに聞きて」には敬語が使われていない。ということは、「ありき給ふ」の主語が偉い人だったのに対して、「ほのかに聞きて」の主語は偉くない人ということになる。地蔵菩薩と比べて偉くない人って誰?

キョウキ:老尼です。

みみずく:そう。だから、「ほのかに聞きて」の主語は老尼と判断できるんだ。

もっと面倒な問題を出すよ。「地蔵見奉らん」は、「地蔵見よう」と訳すの?それとも「地蔵見よう」と訳すの?

ヒントは、「奉る」が謙譲語だということ。謙譲語は、動作を受ける相手が偉い人、逆に言えば、主語は偉くない人だ。

リョウキ:「見る」という動作を受ける相手が偉い人つまり地蔵菩薩で、「見る」の主語は偉くない人ということだから……「(老尼が)地蔵見よう」と訳すんですか?

みみずく:その通り!「地蔵見奉らん」のような助詞の抜けた文を訳すときに、今回のように敬語の知識が生きてくることもあるんだ。敬語は重要だね!

もし「地蔵見奉らん」を「地蔵が見よう」なんて訳したら、お地蔵様が尼さんをストーカーするお話になっちゃうよね。まあ、君たちのような変態兄妹にとっては、そっちの方が面白いんだろうけど(笑)

というわけで、たった数行を解説するだけなのに、こんなに文字数を使ってしまった。次回からはペースアップして、残りを読んでいこう!次回もお楽しみに!(続く)

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[ 2015年03月23日 00:00 ] カテゴリ:宇治拾遺物語 | TB(0) | CM(0)

尼、地蔵見奉ること(『宇治拾遺物語』より)(1)~説話文学について・主語の把握のテクニック~

今回から、古文の読解に入ります。まずは、以下の文章を読んでみましょう。

 今は昔、丹後国(たんごのくに)に老尼ありけり。地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は暁ごとにありき給ふといふことをほのかに聞きて、暁ごとに地蔵見奉らんとて、ひと世界惑ひありくに、博打(ばくち)の打ちほうけてゐたるが見て、「尼君は寒きに何わざし給ふぞ」と言へば、「地蔵菩薩の暁にありき給ふなるに、会ひ参らせんとて、かく歩くなり」と言へば、「地蔵のありかせ給ふ道は我こそ知りたれ。いざ給へ。会はせ参らせん」と言へば、「あはれ、うれしき事かな。地蔵のありかせ給はん所へ、我をゐておはせよ」と言へば「我に物をえさせ給へ。やがてゐて奉らん」と言ひければ、「この着たる衣、奉らん」と言へば、「さは、いざ給へ」とて隣なる所へゐて行く。
 尼、喜びていそぎ行くに、そこの子に地蔵といふ童ありけるを、それが親を知りたりけるによりて、「地蔵は」と問ひければ、親、「遊びに往ぬ。今来なん」と言へば、「くは、ここなり。地蔵のおはします所は」と言へば、尼、うれしくてつむぎの衣を脱ぎて取らすれば、博打はいそぎて取りて往ぬ。
 尼は、地蔵見参らせんとてゐたれば、親どもは心得ず、などこの童を見んと思ふらんと思ふほどに、十ばかりなる童の来たるを、「くは、地蔵よ」と言へば、尼、見るままに是非も知らず、臥しまろびて、拝み入りて土にうつぶしたり。童、すはゑを持て遊びけるままに来たりけるが、そのすはゑして手すさみのやうに額をかけば、額より顔の上まで裂けぬ。裂けたる中よりえも言はずめでたき地蔵の御顔、見え給ふ。尼、拝み入りてうち見上げたれば、かくて立ち給へれば、涙を流して、拝み入り参らせて、やがて極楽へ参りにけり。
 されば、心にだにも深く念じつれば、仏も見え給ふなりけりと信ずべし。


皆さん、内容を理解できたでしょうか?

今回の文章は、『宇治拾遺物語』に収録されている「尼、地蔵見奉ること」というお話です。ここで少し文学史的なお話をしておきますね。

説話文学とは何か?



『宇治拾遺物語』は、鎌倉時代前期に成立したとされる説話集です。説話とは、古くより伝承されて来た話・物語一般のことで、妖怪や幽霊が登場するお話も沢山あります。『宇治拾遺物語』には、本朝(ほんちょう、日本のこと)・天竺(てんじく、インドのこと)、震旦(しんたん、中国のこと)の三国を舞台にした説話が収録されていて、内容的におよそ次の三種類に分かれます。

①仏教説話
②世俗説話
③民間伝承


今回紹介した「尼、地蔵見奉ること」は、①仏教説話に分類されるお話です。仏教説話とは、仏・菩薩の奇跡、高僧の逸話、世俗における因果応報の理などを記したものです。要は、「仏教のありがたさ」を説くためのお話で、当時の人々に仏教を布教する際に利用されたのでしょう。「尼、地蔵見奉ること」では、地蔵菩薩の霊験が描かれています。

古文が読みにくいのは何故?



さて、前置きはこのくらいにして、早速読解に入っていきましょう。

その前に皆さんにお聞きします。皆さんは、「古文は読みやすい・理解しやすい」と思いますか?

多くの方々は「いいえ」と答えることでしょう。そして、純粋な高校生諸君は、「古文を読めなくて理解できないのは、自分の頭が悪いからだ……」と嘆いているかもしれません。

しかし、ちょっと待ってください!
古文が読みにくくて理解しにくいのは、皆さんの頭が悪いからではありません!

古文が難解なのは、現代に生きる我々の感覚からすると古文が悪文だからです。特に、次の2点は古文を難解にしている最大の原因です。

①一文が長い
②主語や目的語が頻繁に省略される


この①②は、現代語の作文技法では「読みにくいからNG」とされます。しかし、古文では、こうした文体が普通なのです。僕達は悪文を読んでいるわけですから、「読みにくい」「理解しにくい」と感じるのは当然です。逆に、「古文はとても読みやすくて理解しやすい!」と言う人がいれば、その人はきっと平安時代からタイムスリップしてきたのでしょう(笑)

「古文は悪文だ」という意識で古文に接すれば、古文を理解できないときがあっても、「自分は頭が悪い……」と嘆く必要がなくなります。むしろ、「悪文を読もうと頑張っている自分はエライ!」と自分を褒めてあげましょう!そのくらい気楽に古典に付き合ってもらえれば、と思います。

とはいえ、古文を読めなければ詰まらないので、読解のためのテクニックについて解説します。

オニババアの法則~主語把握のテクニック~



今回皆さんに習得してもらいたいのは、主語の把握のテクニックです。「テクニック」というと難しそうですが、覚えるべきことは次の3つだけです。

①「名詞、~」→名詞が主語 
②「て」「で」の前後→主語は同じ
③「を」「に」「ば」の前後→主語は違う


「何のこと?」と思われるかもしれませんので、1つずつ解説しますね。

①「名詞、~」→名詞が主語

「女、言ふ。」という文があれば、「言ふ」に対する主語は「女」です。「女」という名詞と「言ふ」という動詞の間に「が」「は」等の助詞が省略されていますが、それらを補って「女が(は)言う。」と訳すわけです。名詞の次に「、」がある場合、その名詞が主語になる可能性が高いと考えてください(100%ではありません)

②「て」「で」の前後→主語は同じ

これは現代語でも同じです。「A君は勉強して、寝た。」という文では、「勉強した」のも「寝た」のも「A君」です。つまり、「て」「で」で結ばれた2つの述語(今回は両方とも動詞)の主語は基本的に同じだということです。

ある人、県の四年五年果てて、例の事どもみなし終へて、解由など取りて、住む館より出でて、船に乗るべき所へ渡る。


この文には「果てて」「し終へて」「取りて」「出でて」「渡る」という5つの述語があります。しかし、「て」でつながっているので、主語は全て「ある人」です。

③「を」「に」「ば」の前後→主語は違う

古文読解における主語把握で、一番のポイントがこの「を」「に」「ば」です。次の文を例に考えてみましょう。

この尼公、主のさきに打ちけるを、要事ありて、「その馬留めよ。」と云へば、鞭をつよく打ちけり。


この文では、まず「打ちける」の主語が「尼公」です。「打ちける」に「を」があるので、ここで主語が変わります。「ありて」「云へば」は「て」でつながっているので主語は同じです。この2つの動詞の主語は、「尼公」と一緒に行動している「主」です。「云へ」に「ば」があるので、ここでも主語が変わります。「打ちけり」の主語は再び「尼公」となります。

この文の主語を補うと、次のようになります(主語には下線を付しました)

この尼公、主のさきに打ちけるを、/(主が)要事ありて、「その馬留めよ。」と云へば、/(尼公が)鞭をつよく打ちけり。


「を」「に」「ば」の前後では主語が変わりやすいということです。そのため、僕は生徒に次のように言っています。

「オニババア(「を」「に」「ば」)に出会ったら、主語が変わる!」

もちろん、オニババアも毎回主語を食らうわけではありません(笑)「を」「に」「ば」の前後で主語が変わらないこともあるので、常に文脈を見ることが大切です。

上記①②③に加えて、敬語も主語把握のヒントになります。ただ、今回は、敬語のお話を省きますね。

古文読解ですべきこと



以上を踏まえて、古文読解ですべきことがあります。それが次の3点です。

①主語には印を付ける。
②主語の変わり目には「/」(スラッシュ)を入れる。
③省略されている主語を書き込む。


この3点を毎回キッチリ行うことで、古文読解のスキルは飛躍的に向上します。実際に「尼、地蔵見奉ること」の冒頭で練習してみますね。

 今は昔、丹後国に老尼ありけり。/地蔵菩薩は暁ごとにありき給ふといふことを/(老尼は)ほのかに聞きて、暁ごとに地蔵見奉らんとて、ひと世界惑ひありくに、/博打の打ちほうけてゐたるが見て、「……」と言へば、/……


「て」「で」や「お」「に」「ば」に注目して主語を把握してみました。これでだいぶ読みやすくなったはずです。ちなみに、この文章に登場する「博打」は「賭け事・ギャンブル」そのものではなく、「ばくち打ち=賭け事をする人」と解釈してください。

今回は、主に主語把握のテクニックについて解説しました。あまり面白くなかったかもしれませんが、古文読解では必須のテクニックです。古文を苦手とする高校生や受験生は、是非とも習得して使いこなしてくださいね。

次回から、本格的に読解を行っていきます。(続く)

今昔物語集・宇治拾遺物語 (新明解古典シリーズ (7))
今昔物語集・宇治拾遺物語 (新明解古典シリーズ (7))桑原博史

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[ 2014年05月12日 13:30 ] カテゴリ:宇治拾遺物語 | TB(0) | CM(0)
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みみずく先生@妖怪博士見習い

著者:みみずく先生@妖怪博士見習い

都内(墨田区両国周辺)で家庭教師業を営んでいるみみずくと申します。本ブログでは、妖怪や幽霊、神仏等、怪しいモノが登場する古典作品を紹介します。高校生や大学受験生の役に立つように古典文法や古文常識に触れつつ、もののけ達の跋扈する、ちょっぴり怖くて魅力的な世界を散策します。一人でも多くの方に古典を楽しんでもらいたいと思っています。家庭教師・ライターのお仕事依頼等は、下のメールフォームからお願いします。

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